毘盧山 天徳禅寺

沿革

概況

天徳寺の伝統と寺歴

昆慮山縁起によると、当山は人皇八十八代後深草院の御宇、建長六年(一二五四年)、榮西僧正の御弟子、榮海僧正 勅命を奉じ東国に至り給う時、磐梯山北々吾妻山東々地蔵ヶ嶽三方より落つる玉川の水上に三明の霊山あり、是即、昆慮舎那佛の僧正を召せし霊地にして、御山の麓に竹庵を結び彼の長者の窪に伽藍建立、益々法運隆昌す。榮海僧正、佛天の賜いし吉祥草を持して上洛天皇に献せり。帝欣快致され、翌年倫旨を賜いて毘盧山天徳禅院と号を給う也。然るに天正の乱世に堂宇ことごとく失い、慶長年間に浦生氏会津を領せしとき、現在の会津若松市北青木の善龍寺六世龍国泉海大和尚、この地に再興せるも、その後種々の災禍や祝融にあい、無住の時代もあって資料となるべき文書もない。 近時の寺歴としては、当寺十六世千光得眼和尚の時代、明治二十一年七月十五日午前七時四十五分頃たまたま小磐梯破裂し、当地方古今未曾有の惨状を被り、寺も亦、境内の樹木径五~六尺のが一円に押倒され、堂塔伽藍も甚害あり、長瀬川と枇把沢より駆走せる岩塊泥流等のため、境内・墓地も殆ど流され又は埋没してしまった。 現在の寺は明治二十五年に寺基を定め、歴代住職復興と教化に心血をそそいで現在に至る。

伽藍現況

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本堂

昭和五十八年四月修復落慶法要

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庫裡

昭和四十七年九月再建落慶法要

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山門

昭和四十一年三月落慶法要

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舎利殿

昭和四十五年八月落慶供養

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開山堂

昭和五十年十一月入仏落慶法要

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経蔵

平成四年七月入仏落慶法要

歴住塔

平成六年四月三十日